陸中野田駅 (りくちゅうのだ)

陸中野田駅 (りくちゅうのだ)

●愛称:「ソルトロード」~江戸時代に野田で海水からつくられた塩を盛岡など内陸に運んだ「塩の道」にちなんで~

道の駅と一緒になった全国でも数少ない駅。
野田村はその昔、天然塩をつくり、盛岡市や秋田県方面に塩を運んで供給する 重要な場所でした。その運ぶ道を後世の人々は”塩の道”と呼び、これがソルトロードの由来です。
 近くには歩いて10分ほどのところに、弓なりの砂浜が3.5Kmにわたって続く十府ヶ浦海岸があります。
 大唐の蔵は、鎌倉時代に床船の漂着の言い伝えがある。灰色~白色~灰色と変化する縞模様が特徴の美しい断層がある。
 特産館「ぱあぷるプル」や産直施設があるので、塩せんべい・塩味ロールケーキなどを是非味見をしてください。

朝日新聞掲載 一駅一話 三陸鉄道編(2003年5月3日から25回) 陸中野田駅

[北リアス線編]

陸中野田 「製塩」

土鍋でできた塩はプレゼント。売り物は、週末に1トンの海水を大きな鍋で半日煮て8キロつくる

 「ほら、かなりとれるもんでしょ」

  「ほう」

  土鍋の中を真剣にのぞき込む、いい年した大人2人。水が蒸発して出来てきたのは塩だ。

  「道の駅」を併設するこの駅は、江戸時代、内陸への「塩の道」の起点でもあった。海水から塩をとるが、気象条件で天日干しはできず、窯で「直煮(じきに)」した。その一端を伝えようと、道の駅の物産館で、ささやかな「再現」をしている。駅長の島川芳樹さん(52)は「単純だけど結構楽しめるよ」。

  しゃもじを持つのは国民宿舎で働く貫牛利一さん(41)。天然塩作りを復活させ、商品化した「ふるさと野田研究グループ」の中心人物だ。

  高校を出てから村外に勤めたが、「故郷のよさに気づいて」3年で戻った。「何か村の誇りを」と思いついたのが製塩だった。漁師、大工、商店主……仲間が20人ほど集まった。祭りなどで実演を重ね、4年前、廃業した三セクの加工場を借り、手作りの窯で始めた。

  9月からは中川正勝村長も参加するNPO法人として生まれ変わった。「責任持ってやるという決意の表れ。今は人件費が出ないが、売れれば人を雇って量産できる」

  敗戦直後、ヤミ塩1升を内陸に持っていけば、米4升と交換できたといわれる。塩は村の救世主だった。今、静かなブームになっている天然塩は、過疎化に悩む村を再び救ってくれるだろうか。

(9/4)
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