| [北リアス線編] | ||
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陸中野田 「製塩」 |
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「ほら、かなりとれるもんでしょ」 「ほう」 土鍋の中を真剣にのぞき込む、いい年した大人2人。水が蒸発して出来てきたのは塩だ。 「道の駅」を併設するこの駅は、江戸時代、内陸への「塩の道」の起点でもあった。海水から塩をとるが、気象条件で天日干しはできず、窯で「直煮(じきに)」した。その一端を伝えようと、道の駅の物産館で、ささやかな「再現」をしている。駅長の島川芳樹さん(52)は「単純だけど結構楽しめるよ」。 しゃもじを持つのは国民宿舎で働く貫牛利一さん(41)。天然塩作りを復活させ、商品化した「ふるさと野田研究グループ」の中心人物だ。 高校を出てから村外に勤めたが、「故郷のよさに気づいて」3年で戻った。「何か村の誇りを」と思いついたのが製塩だった。漁師、大工、商店主……仲間が20人ほど集まった。祭りなどで実演を重ね、4年前、廃業した三セクの加工場を借り、手作りの窯で始めた。 9月からは中川正勝村長も参加するNPO法人として生まれ変わった。「責任持ってやるという決意の表れ。今は人件費が出ないが、売れれば人を雇って量産できる」 敗戦直後、ヤミ塩1升を内陸に持っていけば、米4升と交換できたといわれる。塩は村の救世主だった。今、静かなブームになっている天然塩は、過疎化に悩む村を再び救ってくれるだろうか。 |
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| (9/4) | ||
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陸中野田駅 (りくちゅうのだ)
●愛称:「ソルトロード」~江戸時代に野田で海水からつくられた塩を盛岡など内陸に運んだ「塩の道」にちなんで~
道の駅と一緒になった全国でも数少ない駅。
野田村はその昔、天然塩をつくり、盛岡市や秋田県方面に塩を運んで供給する 重要な場所でした。その運ぶ道を後世の人々は”塩の道”と呼び、これがソルトロードの由来です。
近くには歩いて10分ほどのところに、弓なりの砂浜が3.5Kmにわたって続く十府ヶ浦海岸があります。
大唐の蔵は、鎌倉時代に床船の漂着の言い伝えがある。灰色~白色~灰色と変化する縞模様が特徴の美しい断層がある。
特産館「ぱあぷるプル」や産直施設があるので、塩せんべい・塩味ロールケーキなどを是非味見をしてください。
