みなさんこんにちは。ゆうづる1号です。
前回のお話の続きです
先生に会ったいわきからの帰り道
少し寄り道をしながら帰りました
寄り道の一つが末続駅
木造駅舎が残る
常磐線の大好きな駅の一つです
窓口の造りも最高です!
駅を探索していたら電車が到着しました
今は東京で見るような電車が走っているんですね
特急ひたちや急行ときわ号
夜は寝台特急ゆうづる号や急行十和田号
旧型客車が走っていた頃が懐かしいです
2年前は行くことができなかった浪江駅
大熊町の町内や双葉町の町内は
入ることができませんが
今回浪江町の町内は入ることができました
約20年ぶりに見る浪江駅
大熊町には大きなお店がないので
友人達とよく浪江に遊びに来ていました
平成23年3月11日
あの日浪江駅の様子はどうだったのでしょうか・・・
掲示してあるポスターが2011年3月のまま・・・
大熊も双葉も富岡も・・・そして浪江も・・・
あの日から時間は止まったまま・・・
浪江駅は静かに列車を待っています
浪江には
小学5年、6年の担任だった男の先生が住んでいました
名前は遠藤先生
釣りが大好きな先生で
何回か一緒に釣りに行ったこともありました
先生と遊びに行くなんて
今ではあまり考えられませんよね・・・
休み時間もあまり職員室には行かず
私たち生徒と話をしたりして
人気のある先生でした
この遠藤先生も大好きな先生です
その先生に20年ほど前に会いに行き
待ち合わせをしたのがこの浪江駅
十数年ぶりに会った先生は少し小さく見えて
「あれ?先生ってこんなに小さかったっけ?」と言うと
「お前たちが小さかったんだよ~」と笑いながら言った先生
浪江駅にいる時間
あの日のことをいろいろ思い出しました
先生とは電話をしたり
手紙のやり取りをしていましたが・・・
東日本大震災で
まったく連絡が取れなくなりました
先生どこかで避難生活しているといいけど・・・
またいつか会える!そう願っていましたが
昨年知り合いの方から
先生が亡くなったようだと知らされました
先生にちゃんと言ってなかった言葉があります
「先生ありがとう」って
20年前会ったとき
まさかこんなことになるとは思っていなかったので
また遊びに来ますと言って別れたまま・・・
先生にお世話になった2年間
とってもとっても楽しかったです!
怒ると恐かったけど
釣りの話ばかりする
タバコ臭い先生がみんな大好きでした!
先生の姿を見て学び
私は好きな道を選び
ポッポやの道を進んでいます
先生 ありがとう
ゆうづる1号さん、おはようございます。
このような昔ながらの駅舎は是非とも駅名のごとく末続ならぬ、末永く保存していただきたいと思います。
まだ避難地域の解除がなく不便な生活を強いられている方々が大勢おられます。
早く全ての方が元の生活に戻れますように願います。
ヤッサンさんこんにちは。
コメントありがとうございます。
今回も線路沿いの国道6号線を走りましたが
列車が走っていない区間でも復旧工事が行われていて
少し嬉しくなりました。
常磐線が全線復旧したら
今度は列車で大熊やいわきに行きたいです。
ゆうづる1号さま お晩でございます。
当市北端の末続駅がこの場でとり上げられて、、、というのもびっくりですが、
まさかの浪江駅登場!! 泉駅までの切符を買った券売機もあった ^_^
おりしも本日は町内で復興に向けての動きが。浪江町内来年3月の避難指示
の一部解除に向けて本日仮設の商業施設がオープンしました。
↑ 末続駅、ここも5月はホームのつつじがきれいな駅です。続いてあじさいも。
夜ノ森駅のつつじが除染のためかなり刈り取られそうという報道がありました。
桜の木は???です。
福臨鉄さんこんにちは。
いつもコメントありがとうございます。
末続はいわき市なんですね。
国鉄時代の駅名票には
住所も表記されていましたが
現在の駅名票には表記がないので
この駅が何市にあるのか
分かりづらくなりました・・・
浪江町内は家が崩れていたりしていて
あの日のままなんだと強く感じました。
車ではなく
列車で浜通りを訪れたいです。
ゆうづる1号さん おはようございます
なつかしい先生方
震災によって日常が奪われてしまって、
何とつらいことででしょうか。やりきれないです。
県外の者は福島のことをライブで聞ける機会が少なくなっています。
これからも伝えてくださいね。
たぬきさんこんにちは。
コメントありがとうございます。
これからも年に1度は福島に行き
先生に会ったり
自分の目で浜通りの様子を
見ていきたいと思います。
ただ実際に自分の住んでいた町を現状を見るのは
とても辛いです・・・
そして何もできない自分も悔しいです・・・
願うこと・・・
今の自分ができることです。